聖夜のしあわせ / 失なわれたものはかわいい / etc.

今年のクリスマスは妙にしあわせだった。 いつもと同じ、両親と3人で作るささやかなクリスマス会。長年ずっとそうしてきたように、クリスマスキャロルのCDを流し、他愛ない話をしながらごちそうやケーキを食べるだけ。 ずっとこうしていられたらいいのに、と…

〈約束の楽園〉

十三歳の誕生日、少年は自宅の卓子(テーブル)でアップルパイを頬張っていた。家は誰もいないかのように静かだ。半分ほどパイを食べ終えたところで、少年はアラベスク模様のテーブルクロスに落ちた食べ滓を拭き払い、立ち上がった。 この家は祖母と母、歳の…

〈みずうみ〉

広葉樹の森の奥深くの湖に、わたしが殺した少女が眠っている。 ――いや、眠っているはずだ。 わたしは誰にも知られることなく彼女を殺して、やがて大人になって、運転免許をとって自分の車を持つようになってから、毎年必ずその湖を車で訪れる。 あの秋、わた…

〈彼女の繭〉

サナトリウムは海に面していた。僕が訪ねるとき、彼女はたいてい海を見下ろすサンルームの椅子に坐って、小さなスケッチブックになにかを書きつけていた。それは繊細なレースのような文字(達筆ではない)で書かれた無数の詩句であったり、彼女の頭のなかに…

〈古時計の音〉

古時計が夜の十一時を打った。窗の外の雪をぼんやりと見つめていた瞳子(とうこ)はふと我に返り、天井の照明を消した。室(へや)は机の上の洋燈(ランプ)の紅い傘(シェード)越しの薔薇いろの光が照らすばかりとなった。 瞳子は革張りの椅子に坐り直し、…

一日を、真夜中のように過ごす

私は基本的に「夜型」である。 学生時代はまともに朝起きていたのに、それからの年月でいつ、どういうタイミングでこんな生活リズムになったのか。きわめて不本意である。 夜に活動したくなるのは、普通に考えれば、昼に満たされなかったものを埋め合わせる…

「あなたは「少女」だった。」

Peter Vilhelm Ilsted, Girl Reading a Letter in an Interior, 1908 10代のころ、私は「少女」になりたくてしょうがなかった。 「少女」とはただの未成年女性のことではない。気高く美しく聡明で、水晶や硝子のように澄明な(ときに残酷なほど)、それでい…

儘ならないもの / 春の訪れ

写真は少し前に近所で撮影した梅である(現在はもうおおかた散っている)。 最近は、桜よりも梅が好きかもしれない。目立ちたがり屋の桜よりもいち早く、厳冬のさなかに雪のような可憐な花を咲かせ、「もうじき春になるよ、つらい時季は終わるよ、」と寄り添…

紅茶のこと

紅茶を自分で淹れるようになったのは大学生のころ。とある、絵本のようなパッケージが愛らしい紅茶専門店にふらりと立ち寄ったのがきっかけだったと思う。 当時は週末に小さなポットか、大きなマグカップ1杯ぶん淹れる程度。色いろな紅茶ブランドを試しては…

紙の本を、書店で買う、ということ

私の最近の読書の半分ちかくは電子書籍だ。 元は強硬なまでに「紙派」だったが、途絶えていた読書習慣を復活させるのに圧倒的に役立ったのは電子である。紙の印刷物より遙かに手軽で、「スマホいじり」の要領はそのまま、SNSに入り浸る代わりにわずかな操作…

抱負(読むこと、書くこと)

私が今年やりたいことといえば、まず「このブログを続けること」と、「最近復活しつつある読書習慣をそのままキープすること」だ。 そしてそれらに関連して、「手書きの手帖、日記、ノートの類をきちんとつけること」。 手帖やノートについては、今まで色ん…

聖夜

この時期に思い立ったからクリスマスのことでも書く。 クリスマスといえばアイリッシュハープや中世のキャロルなどを聴く。といっても、今年聴きだしたのはクリスマスも数日後に迫ってからだが。 雑貨店でクリスマスカードを眺めるのも楽しい。だが送る習慣…