「あなたは「少女」だった。」

Peter Vilhelm Ilsted, Girl Reading a Letter in an Interior, 1908



 10代のころ、私は「少女」になりたくてしょうがなかった。
 「少女」とはただの未成年女性のことではない。気高く美しく聡明で、水晶や硝子のように澄明な(ときに残酷なほど)、それでいて妖精のように儚げな存在のことである。

 当時、私は一般語彙でいうところの少女に該当しながら、自分は「少女」の資格を持たないと思っていた。正直なところ、あのころの自分はこれを書いている今も好きになれないし受け容れることもできない。潔癖という以上に偏狭で、常に「莫迦にされている」という被害妄想と劣等感を抱え、逆に他人を見下したりつまらないことで憎んだりしては、ふと同級生の「少女」たちのうつくしい佇まいに気づいて更なる自己嫌悪に沈んでいた幼稚で惨めな私。

 何より、いま思えば醜形恐怖としか云えないものに陥っており、自分は世界一不細工だと本気で思っていた。実際、体重が今より10キロ以上重かったせいもある(それもせいぜい「標準体重」程度だったのだが)。
 だからまず単純に羨ましかったのは顔貌の愛らしい子、一定以上に痩せている子だった。学外にも噂が拡がるほどの美少女。折れそうに細い身体と澄んだ声を持つ小鳥のような子。ふっくらとした白い肌に薄紅色の頬の、いつもお姫さまやお人形のような服装をしていた子――服装だけは容易に真似できるから、いつしか私もそれに倣ってお姫さまやお人形のような服を選ぶようになった(母校は私服だった)。

 学校にはほかにも色々なタイプの「少女」たちがいて、みな私にはまばゆく手の届かない存在に思えた。聡明で非の打ちどころのない優等生。一匹狼のように孤高な子。少年のように颯爽とした子。ふんわりと優しく誰からも愛される子。冷笑家でありながら不思議と透明感のある子。独特のセンスを持つ文学少女
 とりわけ羨ましかったのは、同じ部活動にいて、幼いころから楽器に習熟して美しい音色を奏でていた子。そして人格的にも優れて部員たちに慕われていた子。私もそんなふうになりたくて楽器を奏きこんだけれど、叶わなかった。懸命になるほど独善に陥り頑固になり空回りした。認められない想いをぶつけるように、家で泣きながら練習していたこともある。――それほど自分を追いつめていたのは、承認欲求と完璧主義のせいといえばそれまでかもしれないが。

 「少女」といっても単純に羨ましい存在ばかりではなかった。いつも穏やかに微笑んでいたけれど、手頸に絆創膏をしていた子。ある時期急激に痩せ細り休学してしまった子。個人サイトで陰鬱な詩や小説を綴り、ブログで希死念慮を吐いていた子。ネットだけでわずかに繋がっていた、絵の才能があるが精神疾患に苦しんでいる子。――彼女たちは痛ましいほどどうしようもなく「少女」で、私はただ涙を浮かべて傍観するしかなかった。
 私じしん希死念慮を抱えて毎晩のように泣く程度には危うい状態だった。しかし、自傷に走り拒食に至り生に背く彼女たちの、パトス、とでも呼びたくなる激しさ(そのように当時は思えた)を自分が持たないことを欠陥のように見なしていた。つまり烏滸まがしい憐憫と死への憧れに引き裂かれていた。

 こうして当時の「少女」たちの印象を並べるだけで、そのまま私に欠けていたもの、未だに自己嫌悪の源になっているもののリストになる。存在としての美しさも透明さも持ち合わせない、内側に何か汚泥のような厭わしい粘性のものを溜めこんでいる私の。

 ――それでも。

 中高一貫のその女子校を卒業して10年以上経ち、いつの間にか私の体重は緩やかに10キロちかく落ちていた。原因はよく解らないが、とりあえず病気ではない(自分ではたぶん、紅茶を常飲するようになってむくみがとれたのだと思っている)。そのことで却って外見への執着は軽減された。そうしてあるとき、体力アップのために軽い筋トレを始めた。
 数箇月後、鏡のなかにあのころ私が死ぬほどなりたかった「少女」がいた。
 嬉しさも湧いたいっぽう、複雑だった。どうして、今さら。ため息をついて鏡に手を伸ばす。私には未だに欠けているものがたくさんある。それでも10代のころより賢くなり、性格の歪さも少しはカバーできている。異様なプライドの裏返しであった劣等感や承認欲求も落ちついた。――これらは普通「大人になった」と云われる事柄だが、あの当時の私の基準からいえばむしろ憧れていた「少女」に近づいている。
 しかし、鏡に手をふれたまま判らなくなる。あんなになりたかった「少女」像に近づいたはずなのに、嬉しくないのだ。私のなかの薄闇で今も膝を抱えているあの子が慰められる感触がない。

 ところで、私は昔からよく友人に「好きなものにまっすぐだね」「純粋だね」「繊細だね」などと云われる。これらのことばは一見、上述の「少女」的な澄明さを想わせるようで微妙にズレがある。成人女性としては暗に愚直であること、世間知らずであること、悪い意味でナイーヴであることを仄めかされていることも多いからだ。実際、よくそう云ってきた友人に軽んじられたり人格否定されるような事件も最近まで何度か起きている。
 だがそんな虚しい経験を重ねるごとに、私はむしろ、そういった性質を手放したくないと強く希うようになった。だって、それらを手放したら――私のなかで頑なにうずくまっているあの子は死んでしまうから。

 最初に述べたように、私は彼女が好きではないし受け容れてあげることもできない。それでも、死なせてしまいたくない。だから彼女の居場処は残しておきたい。
 あのころの私は背伸びしてクラシック音楽を聴きこんだり、ほかの同級生が読んでいないような文学作品や哲学書を読み漁ったりした。バレエを鑑賞し、美術館に行った。世間の流行、「女子高生」が好むとされるものには見向きもしなかった。劣等感を補償するために高邁な趣味を目指していたとも云えなくはないが、自分だけの世界を創り、守るためには必要だった。
 そうしてやがて、ただ純粋に自分が美しい、愛らしいと思うものを選び取れるようになった。そうして感性を育てたことが私の文化的な下地になり、絵を描くという今の仕事にも繋がっている。
 それらの趣味じたいは必ずしも全てが「少女的」とは云えないが、そのとき自分の美的感覚に適うものだけを頑ななほどに厳選し、そうでないものを拒み通したことはきわめて「少女的」であったと思う。

 本当は、それこそが「少女」の本質ではなかったか。私がなりたかった「美しく聡明な少女」はあくまでその一変型に過ぎない。「少女」を「少女」たらしめるのはむしろ、その頑固といえるほどのまっすぐさ、愚かと思われるほどの純粋さ、それらを守れなければたやすく毀れるほどの繊細さではなかったか。
 そしてその「少女」らしさとは、必ずしも美しいものではないのだ。

 あのころ私は孤高な「少女」に憧れながら、自分のなかの巨大な淋しさや幼さを持て余し、そんな自分の未熟さを常に蔑んでいた。
 それでも芸術作品や書物に向き合い、自分でも絵を描いたり無心に楽器を奏いたりことばを綴ったりするとき淋しくなどなかった。たった一人で美しいもの、至純なもの、至高のものを追い求めるときその孤独は快かった。その意味で、私も孤高だったのではないか。そしてそれこそが私の固有の「少女性」だったのではないか。

 私は今なお「少女」の幻を求め、10代のころ夢想した「少女性」といま認識する「少女性」とのゆらぎに手を伸ばし、花びらのようにちいさな「孤高」を掬い上げる。それをまだ失うことなく育てていけるかどうか、そっと胸に押し当て目を閉じる。

 現在の私に残された「少女」の似姿は、あと何年かで消えてしまうだろう。
 だから忘れてしまわないうちに、鏡に映る「少女」というにはいくらか大人びた像を透して、その奥でうずくまる暗い顔の醜い子にそっと云い聞かせる。この子を好きになれなくても受け容れられなくてもこれだけは、それが美しいものではないとしても私が云わなければ、誰も認めてあげることはできないから。
 「あなたは確かに「少女」だったよ。」と。




(特別お題「今だから話せること」に寄せて)