聖夜のしあわせ / 失なわれたものはかわいい / etc.



 今年のクリスマスは妙にしあわせだった。
 いつもと同じ、両親と3人で作るささやかなクリスマス会。長年ずっとそうしてきたように、クリスマスキャロルのCDを流し、他愛ない話をしながらごちそうやケーキを食べるだけ。
 ずっとこうしていられたらいいのに、と思った。
 幼いころからこうして重ねてきたクリスマスも、ある数年間、我が家が危機的な状況にあったときのことはあまり憶えていない。「あのころはクリスマスどころじゃなかったよね。」と、両親と一緒に当時を振り返った。
 だから両親がこんなに平和そうで、私も両親に対してわだかまりを持たずにささやかなクリスマスを愉しめることは、当たり前ではない。

 私は長年、両親を含め、色んな人を恨んでいた。
 人を恨むのは疲れた。
 今はもう、誰かを恨む必要はない。恨もうと思えば恨める。でも、差し当たって私たち家族は平穏な生活を手に入れた。だからこちらのほうに目を向ける。
 明けない夜はないし、出口のないトンネルもないのです。やったー。だからこうして、いまもずっとパパとママに愛されている。場処は遠いけれど恋人だっている。しあわせだ。

 ただのんびりと愛されている、こんなしあわせなクリスマスをあと何度過ごせるんだろう。
 存外、もう10回も20回もこうして過ごすのかもしれない。
 これが最後かもしれない。

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〈約束の楽園〉

 十三歳の誕生日、少年は自宅の卓子テーブルでアップルパイを頬張っていた。家は誰もいないかのように静かだ。半分ほどパイを食べ終えたところで、少年はアラベスク模様のテーブルクロスに落ちた食べ滓を拭き払い、立ち上がった。
 この家は祖母と母、歳の離れた三人の姉と、彼以外は女ばかりが住んでいる。だから調度品は女らしい趣味のものばかりで、少年はしばしば居心地が悪かった。祖母と母がとくにアラベスク模様を好んで、窗幕カーテンや壁紙、絨毯、陶器など至るところに似て非なる壮麗な唐草模様がある。それは西洋風というより、もはやイスラム美術めいた稠密さで見る者に眩暈を起こさせた。
 少年はアップルパイの残り(もちろん、それを載せた皿はアラベスクで縁どられている)とホットミルクをトレイに載せて自室へ持って行った。少年の室だけは淡い縦縞ストライプの壁紙で、窗幕にも絨毯にも模様はなく、自分の居場処という感じがした。少年は木の机に向かって坐ると、友人から借りた本を読み始めた。
 中学に上がったばかりの少年としては少し気恥ずかしい、子ども向けの冒険譚だった。翻訳ものである。実は以前は自分でも所蔵していたが、ある日自分にはもう必要ないと思って棄ててしまった。だが中学に上がってしばらくしたある日、級友が誰にも恥じるところのない容子で教室でその本を読んでいるのを見ていたく後悔した。彼に話しかけてみたところ、その本にはさらに続篇まで出ていると知り、それから二冊とも貸してもらったのだった。
 一人の船長と九人の少年が乗る空飛ぶ船の物語。彼らは〈約束の楽園〉を目ざし、航海ならぬ航空の旅のなかで様ざまな困難に出遭う(空の海賊と闘ったり、竜と争ったのち和平を結ぶこともあった)。だが実のところ、少年が惹かれたのはそういった活劇めいた部分より、その合間に書かれる遙かな空の描写、特に星々の描写だった。愉快な冒険のあいだに著者が挿しこんだそれらの情景は妙に物悲しく、少年の心をいっそう遠くへ連れて行った。薄明のあえかな空の色、銀色に瞬くかそけき星々の孤高は作中の少年たちの心の無垢さや高潔さとも呼応していて、それを読む少年は自分もこのような心を持つことができるだろうか、大人になるまでに一瞬でも彼らに近づけるだろうか、と改めて考えこむのだった。

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〈みずうみ〉

 広葉樹の森の奥深くの湖に、わたしが殺した少女が眠っている。
 ――いや、眠っているはずだ。
 わたしは誰にも知られることなく彼女を殺して、やがて大人になって、運転免許をとって自分の車を持つようになってから、毎年必ずその湖を車で訪れる。
 あの秋、わたしたちは二人で徒歩で湖を訪れて、彼女だけが姿を消したことになっている。湖も当然捜索されたはずだが、なぜ遺体が見つからないのかは解らない。そのおかげでわたしはなにも疑われることはなく、罪を償う機会も逸してしまった。
 わたしたち二人は仲がよく(とわたしは信じていた)、いつも双子のようにお揃いの服を着ていた。わざわざ示し合わせるようになる以前から、服飾品や文房具、読む本まで偶然に同じものを買ってしまうことが多かった。だからいっそお揃いのものを買おうか、ということになり、放課後はしょっちゅう彼女と街で買い物をしていた。
 楽しかった。お揃いの赤いワンピース。お揃いの綺麗なリボン。お揃いの白いスニーカー。お揃いの花の形のイヤリング。そして、ペアリング。
 さすがにやりすぎだろうか、と冷静さがよぎったのはそのペアリング(瞭らかに恋人向けに売られていた)を買ったときで、その場ではいつもどおり笑い合いながらお互いに指に嵌めてみたものの(ふざけて結婚式の指輪交換の真似ごとをした)、そのときからわたしたちには少しずつぎこちなさが生じていったように思う。いつまでもこんなことをしていられるわけがない。期間限定の前提があるからこんな過剰な遊びができる。でも、この無邪気な遊びを終わりにするとしたらいつ、どうやって。
 わたしたちはそれを綺麗に終わらせることができなかった。

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〈彼女の繭〉

 サナトリウムは海に面していた。僕が訪ねるとき、彼女はたいてい海を見下ろすサンルームの椅子に坐って、小さなスケッチブックになにかを書きつけていた。それは繊細なレースのような文字(達筆ではない)で書かれた無数の詩句であったり、彼女の頭のなかに拡がる風景(暗くも明るくもない)の細密画であったりした。眼前の海を描くことはなかった。
 その日は薄曇りで、潮騒と彼女が鉛筆を動かす音だけが響く空間はいつにも増して静謐だった。素早く細かいストロークの音で、今日は字ではなく絵を描いているのだと判る。肩越しにそっと覗くと、煉瓦塀とその上で眠る猫が完成しつつあった。資料もないのに、愕くほどリアルに細密に。
 「もうずっとここを出られない気がする。」
 彼女は絵に飽きると僕のほうを向いて、弱々しいことばとは裏腹な凛とした睛で凝視みつめてくる。
 「それならそれで、僕はずっとここに通うよ。必ず。」
 「ありがとう。」彼女は透けてしまいそうな白い顔で俯向いて、それからスケッチブックを僕に差し出した。「上げる。使いきったから。」

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〈古時計の音〉

 古時計が夜の十一時を打った。窗の外の雪をぼんやりと見つめていた瞳子とうこはふと我に返り、天井の照明を消した。へやは机の上の洋燈ランプの紅いシェード越しの薔薇いろの光が照らすばかりとなった。
 瞳子は革張りの椅子に坐り直し、古い日記帖の頁を再び捲る。
 中学生ごろに書いたものだった。久びさに手にとって、十年も経たないうちに自分はこんなにも変わってしまったのかと愕いたり悲しくなったりした。そこには今では赤面するほかはない幼い初恋や、友人たちとの大仰な愛憎劇、学校生活の息苦しさを綴ったわずか数日後に書かれた文化祭の楽しさ、大好きだった本や映画や音楽、かつて自分で夢想していた物語、などが満ちていた。要するに日々が輝いていた。高校受験期の悩みの吐露さえ、今となっては可愛らしい飴細工かなにかのように見える。それらに目を通すあいだ、彼女は愛しさでほほんでいた。

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