小説

〈約束の楽園〉

十三歳の誕生日、少年は自宅の卓子(テーブル)でアップルパイを頬張っていた。家は誰もいないかのように静かだ。半分ほどパイを食べ終えたところで、少年はアラベスク模様のテーブルクロスに落ちた食べ滓を拭き払い、立ち上がった。 この家は祖母と母、歳の…

〈みずうみ〉

広葉樹の森の奥深くの湖に、わたしが殺した少女が眠っている。 ――いや、眠っているはずだ。 わたしは誰にも知られることなく彼女を殺して、やがて大人になって、運転免許をとって自分の車を持つようになってから、毎年必ずその湖を車で訪れる。 あの秋、わた…

〈彼女の繭〉

サナトリウムは海に面していた。僕が訪ねるとき、彼女はたいてい海を見下ろすサンルームの椅子に坐って、小さなスケッチブックになにかを書きつけていた。それは繊細なレースのような文字(達筆ではない)で書かれた無数の詩句であったり、彼女の頭のなかに…

〈古時計の音〉

古時計が夜の十一時を打った。窗の外の雪をぼんやりと見つめていた瞳子(とうこ)はふと我に返り、天井の照明を消した。室(へや)は机の上の洋燈(ランプ)の紅い傘(シェード)越しの薔薇いろの光が照らすばかりとなった。 瞳子は革張りの椅子に坐り直し、…